―――神の夢―――

 牧師 白 石 久 幸

 

 ヤコブは…その場所に横たわった。すると彼は夢を見た。見よ、主が傍らに立って言われた。「…あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。…見よ、わたしはあなたと共にいる。…」。ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」(創世記28章10〜22節)

 

 ヤコブは兄エサウの長子権を自分のものにしてしまいました。さらに父イサクがエサウに与えようとした祝福を、父をだまして自分のものにしてしまいました。そのためエサウの逆鱗に触れ、ヤコブは家から逃げていく所です。旅は始まったばかりですが、ヤコブは不安、恐怖、孤独、罪責感などを負った旅でした。

 ヤコブは迷い出た羊のようです。父の家からというより神のもとからです。ヤコブは今で言えばクリスチャンホームの中で育てられてきたわけですが、今日の箇所を読むかぎり神と個人的に出会った経験がなさそうです。迷い出た羊を連れ戻す羊飼いのように、神はヤコブに出会ってくださるのです。

 ヤコブは夢を見ます。天と地が階段で結ばれて、その間を天使が上り下りしています。その夢の中で神はヤコブに対して大事なことを語ります。それはアブラハムにもイサクにも約束したものですが、「この土地をあなたとあなたの子孫に与える」と言うのです。神はその土地から逃げているヤコブに対して、「与える」と約束するのです。ヤコブは神から約束を受け取るような者ではありません。しかし神は資格のない者を選ばれるのです。それは私たちが救われる時も同じです。救われる私たちに何の資格も条件も無く、無きに等しい者を神は選ばれるのです。

 ヤコブはまさかこんな旅の途中で神が出会って下さるとは思ってもみなかったでしょう。でも神は必要な時に現れるのです。そして私たちに夢を示されるのです。新共同訳聖書の小見出しは「ヤコブの夢」となっていますが、わたしは夢を見ているのは神だと思います。神の見ている夢を、夜の夢を通してヤコブに伝えているのです。神はヤコブに対していろいろ夢を持っています。「神を信じて生きていってほしいな」「ヤコブにアブラハムにした約束を受け取ってほしいなあ」「まじめになってほしいなあ」…。神は私たち一人ひとりにも夢を持っています。「この人がここで信仰の決心をしたらいいのに」「この人は献身したら素晴らしいのに」「この人はこのことにチャレンジしたらいいのに」「この人は祈りの人になってほしいな」…。神はその夢を丁度よいときに渡そうとしているのです。私たちは自分自身の描く夢があって、それが実現することを考えますが、神の夢を実現することも大事なことであります。

 先日以前牧会していました教会の人がわたしの留守中に訪ねてこられました。名前を聞いてもなかなか思い出せませんでしたが、会員の家庭集会に参加していた人であることが分かりました。そしてわたしが教会を離れてから2年後にバプテスマを受け、今楽しく教会生活を送っていると言うことでした。神はこの人に対して持っていた夢を実現するため、ある時強く働きかけをされたのです。

 さてヤコブはこの後おじのラバンのもとで苦労しました。今度は自分がだまされて、その痛みを知ることになります。そして自分の国に帰るのは20年先になってしまいます。しかしこの20年苦労はあっても神が共にいてくださることを信じることができましたから、苦労にも耐えることができたのです。そして神の約束の通り自分の国に帰り、神の約束を実現していくことが出来たのです。

 旅の途中でヤコブは神と出会い、神を信ずるものになりました。神を信ずるということはひと時の心の平安を頂くことだけではありません。神のその人に対して持っている夢をいただくことですから、未来を受け取ることであります。未来を受け取ることでありますから、やってくる苦労にも耐えることができたのです。

 神の夢は単なる夢で終わることがありません。階段を上り下りしている天使に代わってイエス・キリストがこの地上にやってきました。神の私たちを救うという夢は実現しているのです。だから私たちに約束される夢も実現していくといえます。

(2008年8月31日礼拝宣教要旨)

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