―――アドヴェント第二週―――

聖書:イザヤ書11章1−10節、マタイによる福音書3章1−12節

説教者:ダニエル・ウイリアムズ師(ベーラー大学教授(教会史))

              

 アドヴェントの第2週の日曜日、皆様ご一緒に礼拝するだけでなく、皆様にアドヴェントについて与えられています省察を申し上げる機会を与えられましたことを光栄に思います。皆様と日本語で直接的にコミュニケーションを取ることができず申し訳なく思います。私は日本語の最も重要な語句のいくつかを学びました。例えば、「もしもし」「ありがとうございます」「ね...」。

 言語の壁と文化の違いにもかかわらず、キリスト者の間には深い絆があります。私がどこの国にいようとも、キリスト者が共に集うとき、そこには信仰の言葉の共通の語り(デスコース)、分かち合える伝統、そして共通の希望が存在します。民族的、言語的壁は聖霊にとっては何の障害にもなりません。

 今朝は、一年の時間を認識する仕方には常に違いが存在するということから始めたいと思います。過去の主要な文明の記録から明らかなことは、社会はしばしば、同時に二つあるいは三つの暦に従って生活していたということです。一つの暦は他のものより有効だったのでしょうか?太陽、月、王の支配は暦の決定に、どちらが好まれたのでしょうか?

 古代エジプト人は一年のサイクルを月の移り変わりによって、そして他の場合には、宗教的または市民的祝祭を祝うことで時間を特徴づけていました。ギリシア人も月による太陰暦を使いました。一方、ローマ人は最終的には、太陽暦、即ち、365日、全体で52週というユリウス暦を作り出しました。

 もちろん、このローマのシステムは完全ではありません。なぜなら、4年に1回、その年に1日を加える必要があるからです。これは、今日、少なくとも経済的、政治的目的のために、殆どの国で守られている方法です。しかし、それぞれの文化的営みは,それだけではなく、祝日、祝祭、その他の習慣に基づく時間の経過を特徴づける独自の仕方でなされています。

 

 カナダに住んでいたとき、カナダでは、サンクスギビング(感謝祭)が、私たちが米国で守っている11月の第3週ではなく、10月の第2週に守られていることを知りました。そこで、私たちはカナダにいる間は二つのサンクスギビングをお祝いしていました。

 キリスト者のために、教会は一年を特徴づけるそれ自身のやり方をもっています。このやり方は5世紀の古代キリスト教の時代に遡ります。そしてそれは、全世界のキリスト者が今でも共通にもっている数少ないものの一つです。

 アドヴェントは、それよって、今が一年のいつであるかを、私たちに知らせる一つの方法となっているものです。アドヴェントは新しいキリスト教の暦上の年の始まりを特徴づけます。年の始まりというと私たちは、クリスマスやイースターを期待するかも知れませんが、それはクリスマスやイースターではなく、アドヴェントなのです。

 皆さんがご存知のように、「アドヴェント」という言葉は、ラテン語のアドヴェントス(Adventus)から来ています。その意味は「到着」または「到来」です。それは町に政府の高官の到着を意味するために使われました。たとえば、ローマ皇帝の到着の際に、町の通りに皇帝行列が行われ、それは皇帝のアドヴェントス(adventus)と呼ばれました。 

 キリスト教のアドヴェントの認識もまた、王の到着と関係しています。そのため、この時期に教会で使われる色は、しばしば高貴な色を意味する「紫」です。しかし、実際のところ、私たちのユダヤ・キリスト教の伝統では、アドヴェントは、神の救いの構図の大きな計画の中で見られるのが常です。

 アドヴェントは、私たちに、かつてそうであったように、大きな絵の方向を指し示します。アドヴェントはキリスト誕生の時に至までの歴史の段階的道筋を私たちに示し、さらには、キリストは「インマヌエル」、即ち、「神、我らと共にいます」であることを明らかにします。

 クリスマスが一般的に祝われるようになるのは、ようやく4世紀頃のことです。そして、その後すぐにアドヴェントはクリスマスを祝う前の断食の時として始められました。アドヴェントの期間はクリスマス前の4週間あるいは6週間と様々でした。現在の形に落ち着くのは中世後期のことです。最も一般的に用いられていたキリスト教の暦では、アドヴェントはクリスマスの前の4週の間で守られました。

 7世紀、8世紀までには、アドヴェントで毎週読む聖書箇所が確立しました。もちろん、これらの聖書箇所は、ローマ・カトリックなのか、東方正教会なのか、それともプロテスタントなのかで、少しずつ違いがあります。そしてプロテスタント教会の間でもいくらかの違いがあります。そしてマタイ1章、ルカ1−2章のイエス・キリストの誕生物語と共に、旧約聖書のイザヤや他の預言書の聖句が最も重要なものとなりました。これら全ての言葉は、心の中の絵、即ち、聞き手の心の中に創造的イメージを造り出すためのものです。キリスト者のほとんどが読み書きができるようになったのは、ほんのこの数百年のことです。ですから、聖書朗読によって、聞く者がメッセージに「入って行き」、心に像を浮かび上がらせることができるように,聖書箇所をアレンジする必要がありました。

 どちらかと言うと、イースター前のレントの季節のように、アドヴェントは、すでに私たちのただ中にある神の働きに私たち自身を再度目覚めさせる、そのような悔い改めの道への準備の期間と考えられていました。これがまさにバプテスマのヨハネが周りの人々に語ったことでした。人々は見ているのですが、神がなしたこと、そして彼らの目の前で神が行っていることを理解していませんでした。

 アドヴェントの期間は、私たちが巡礼者のように古代の預言者たちと共に旅を進めて行くことが想定されています。アドヴェントの毎日曜日、どのようにしてキリスト教の物語が始まったのかについて、新しい見方を得るために、私たち立ち止まります。聖書箇所の一つひとつは、全てが揃ったときにのみ意味をなす大きなパズルの一片のようなものです。

 アドヴェントを考えるもう一つの方法は、モザイクのようなものです。即ち、モザイクでは、絵の全体は一つひとつの色つきのタイルが正確にはめ込まれてはじめて分かるからです。

 数年前に、私は、トルコのイスタンブールにある、偉大なキリスト教のバシリカ、ハギア・ソフイアを訪れました。それは、世界で最古、最大の教会堂の一つです。それは、4世紀の中頃に建築されました。そして興味深いことに、その開所式の礼拝は、紀元360年のクリスマスの時期でした。後に、その建物は拡張され、6世紀には火災で焼けた部分が再建されました。

 前方内陣の右側にマリアが幼子イエスを抱いている大きなモザイクの遺跡があります。何百というタイルを使った像は典型的なビザンチン様式です。それに加えられた損傷にもかかわらず、そのモザイクの絵は、今でもはっきりと見ることができます。

 同じような仕方で、全体像を示すために聖書箇所がつながりをもって読まれます。即ち、旧約聖書の預言者、バプテスマのヨハネの言葉、天使の宣言、ヨセフの夢、マリア、エリザベツ、ゼカリヤ、シメオンによって捧げられた一連の賛美などです。私たちは、これらの一片、一片、即ち、モザイクのタイルによって、過去と現在に同時的に引きよせられるのを経験します。

 それ故に、アドヴェントは歴史における2000年前の出来事を、ただ単に特徴づけるだけではなく、それ以上のことを意味します。それは、到来しており、そしてやがて来たりたもう神の救いについての真実を祝うことだからです。私たちは罪から救われました。しかし、まだその全ての腐敗からというわけではありません。全ての被造物は神と和解する。これは、真に「大きな絵」です。

 アドヴェントの聖書箇所に出会うとき、私たちは、それを垣間見るにしかすぎません。しかし、この垣間見ることは、神がなさっておられる、その絵を見るには十分なのです。

 アドヴェントはまた、私たちもその中にある進行中の一つのプロセスです。クリスマスに向けての預言者の呼びかけは、期待、予期、準備、待ち望みの精神によって特徴づけられています。その呼びかけには、この世界の悪からの解放への切望があります。それは最初にイスラエルがエジプトで奴隷であったときに,苦しいその抑圧からの解放を願って、彼らが叫んだときに表明されたものです。

 古い英語の賛美歌は、神の救いの大いなる計画の必要とその待望の思いを、ベツレヘムでのキリストの誕生に込めて次のように歌います。

 

 積年の希望と恐れが

 今夜、汝と出会う

 

 それでは、何故、アドヴェントは、キリスト教の暦の始まりを特徴づけるのでしょうか?それに対しては、いくつかの答えがあります。しかし、それは4週間のパズルのそれぞれの一片、一片を検証するときにのみその答えが見いだ出されるようなものです。

 アドヴェントの第1週のイザヤ書からの聖書箇所を考えてみて下さい。

 

イザヤ2:2  終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。 国々はこぞって大河のようにそこに向かい

 

今週からは、次の聖書箇所です。

イザヤ11:9  ....水が海を覆っているように 大地は主を知る知識で満たされる。

イザヤ11:10  ....国々はそれを求めて集う。 そのとどまるところは栄光に輝く。

 

 この聖句には備えに対する鋭い感覚が働いています。即ち、期待への感覚、一種の切望、すでに到来し、なおも来りつつあるものの完成への待望です。

これはバプテスマのヨハネが典型的に示したことです。彼は旧約聖書の預言者の最後の者と呼ばれました。何故なら、彼は、備えよ、と宣教する預言者の系譜に立っているからです。

 

マタイ3:3  ....「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」

 

 バプテスマのヨハネがイザヤを引用したのは偶然ではありません。ヨハネは預言者たちの新たな声なのです。そして彼は、神が悔い改めを呼びかけて来た、その過去と未来について語ります。

 

マタイ3:11  ....わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。

 

 イザヤのように、バプテスマのヨハネもまた、宣言します。神の救いは、私たちが期待するようなものではないかも知れない。それは規模においてもさらに大きく、多分私たちが想像する以上に大胆なものであると。

 

私たちが詩編作者の次のような宣言を聞くとき、即ち、

 

ローマ15:11  ....「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」

 

 私たちは、神の業が真に宇宙的であるとの示唆を受けます。私たちは、神の救いの「大いなる絵」を見ることが許されることにより、それぞれの小さな世界から、あるいは私たち自身の個人的経験の箱の中から、そして私たちがしばしば神に勝手に置いている限界から引き出されるのです。実際、アドヴェントは、一人ひとりのキリスト者を自己の囚われから、神の巨大さと深みへと引き出すことを意味します。そのようになって初めて、私たちは、預言者が預言したように、神がキリストにあってなして下さったことを、そして、神がこれからなそうとしておられることを理解し始めるのです。何故なら、全ての被造物が贖われるときまで救いの業は終わらないからです。私たちは、このことをイザヤ書2章4節から聞きます。

 

 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。 彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。 国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」

 

救いのこの部分は未だ実現していません。それ故に、それはそれがやがて成就すべきものとして語られます。これは福音の神秘です。即ち、福音によって私たちは、過去と未来を同時的に行き来するのです。後ろを振り返ることによってのみ、私たちはその道の前方を見ることができます。私たちは、イザヤとヨハネによって、メシアの最初の到来に向かうように指示されます。と同時に、神が創造された全てのものが、ついには神ご自身の元に連れ戻されるという、この世界の中でやがて起るであろうことに向き合わされます。これはゆっくりと啓示されるより大きな絵です。

 期待していないことが起る、というのは福音の特徴そのものです。そうではありませんか?クリスマス物語の全体というものは、この世界で神がなされようとしておられることについて、皆さんが最後の最後に予見できるようなものです。

 荒野から出て来た一人の男が説教する。一人の十代の少女がうさんくさい状況の中で妊娠する。主なるキリストが家畜小屋で誕生する。羊飼いたち―王や学者ではありません―が「良き知らせ」を受け入れる最初の人々となる。アメリカの作曲者が次のように作詞したのにはそれなりの理由があります。

 

「何と不思議な仕方でこの世界は救われることか。」

 

 道理で私たちにはアドヴェントが必要なわけです。アドヴェントは、神が、なぜ、またどのようにして私たちを贖おうとしておられるか。そして、いつの日にか、「インマヌエル」、即ち、「神、我らと共にいます」が、その贖を完成する第二のアドヴァントとなられるかを、私たちが悟るための道を示すものだからです。神が褒め讃えられますように。アーメン。

(通訳:小林洋一協力牧師)

2007年12月9日礼拝宣教

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