――「生きる希望は、いつも神様から〜神様の内にいる実感を得る〜」

筑紫野二日市教会 牧師 加来国生

 

 ……神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。……(ヨハネの手紙T 2章1〜6節)

 

【挨拶と特別礼拝説教テーマ】

私は、緊張した時祈ります。神様を信じる信仰によって、神様が共にいてくださり、私の体も心も全て知って下さるからです。それが、一番落ち着きます。

人には性格というものがあります。以前の私の性格は、ただ落ち込みやすいだけでした。現在は、落ち込みますが、立ち直りが早いという傾向があります。ある時期から、どうすれば立ち直る希望が与えられるか解ったからです。神様の存在を身近に感じるようになりました。人格が変えられ、立ち直るきっかけは、何を求めればよいでしょう?

それを表現する讃美があります。歌ってみます。

だれでも、キリストの、うちにあるなら、そのひとは、あたらしく、つくられたもの、ふるきは、すぎさり、すべてがあたらしい、主のうちに、あるなら、すべてが、あたらしい♪。古いままか、新しくつくられるか、それが大事です。

人間は、二種類の生き方があると思います。一つは、神様の存在を信じ、受け入れ、神様を意識して、生涯を過ごす人たちです。もう一つは、神様を信じず、生涯を自分の力だけで生涯を過ごす人たちです。

私は、祖父、父、私と続き三代目の牧師です。牧師は決して世襲制ではありません。別に牧師にならなくても、何の問題もなかったのです。私の父親は、牧師になりたいとは思わなかった。私は、牧師にならずに生涯を終えたいと思いましたが、牧師になりました。

私は、大胆すぎるほど神様に大いに期待することにしています。それは、確信をもって期待することにより、神様は、神様の計画によって、どんな時でも何度でも、希望を与え立ち上がらせて下さると信じているからです。

 

【将来に対する不安】

私たちは、自分と直接関係ない、周りの環境の変化に戸惑い、困惑し、右往左往する事があります。この先どうなるか?誰にも解らない。皆さんはそのような経験をされた事はないでしょうか?自分と関係ない周りの状況の変化によって、自分自身を見失うことがあります。目的地まで、きっちり行けるかどうか先行き不安になることがあります。そんな時、この方、イエス・キリストを自分の中に迎え入れてください。波乱万丈と思える人生でも、神様を求めれば、実は、全て神様の計画の中で進められている、と気付かされます。

 

【自己中心に過ごすか、神中心に過ごすか、全ての罪に対処して下さる神様】

今日の箇所、神様の存在を認めるか。そして、罪をどう解決するか、という問題を挙げています。神様が、それぞれの人の、罪を買い取ってくださる恵みを語っています。罪に苦しむ人たちを、罪から解放することが出来るのは、神様しかいません。神様が、全世界の罪を引き受けて下さる喜びがあります。神様の子どもには、神様の子どもとして、神様の性質を与えようと関わられます。人間が罪を犯すのを心配してくださいます。

罪人の生活は自己中心です。そして、自己中心は罪中心に陥ります。

それに対し、神様中心の生活は、罪からの救い中心です。罪は犯さない方がいい。しかし、罪を犯してしまったとしても、救い主イエス様が血を流し、私たちの罪を十字架の贖いによって、買い取って下さったのです。自分が犯している罪に気付くか、気付かないか、それが、問題です。そして、罪を犯している自分に気付いたとしても、それをどこに持っていけばよいか、知っていなければ、いつまで経っても本当の解決にはなりません。

神様は、「あなたは、わたしの内を生きよ」とあなたに近づいて下さいます。神様を、期待して、お迎えしましょう。不安が解消され、心が平安になり、目的地までの答えが必ず与えられます。

 

【私の名前は明治時代の名前】

私の祖父は牧師でした。明治35年(1902年)生まれの加来国生という名前の牧師でした。日本バプテスト連盟佐賀教会の牧師でした。私の名前がどういう経緯で祖父と同じ名前になったのか?私は良く知りませんでした。私が父親から聞いていたのは、昔おじいちゃん(私の父にとっては父親)に良く怒られた。怖かった。そして、仕返しをしたかった。同じ名前にしたら、呼び捨てにして「国生」と怒ることができる。と聞かされていました。

ところが、西南学院大学神学部に入学したとき、図書館で先輩が一冊の雑誌に私についての記事を見つけ、「加来さん、あなたの事が載ってます」と。『百万人の福音』19755月号、父親加来剛希の執筆に、このように書いてありました。「1962(昭和37)9月に長男が産まれた。命名にあたっては、キリスト教と全く縁が切れていると信じている私だったが、かわいいわが子だけは伝道者になってほしいという気持ちが、不思議と私の血の中を走り、私の父にたのんで、『国生』と命名してもらった。自分は無責任で気ままな生活を続け、子どもだけに十字架を背負わせようという魂胆もあった」と。全く父親も父親なら、祖父も祖父です。父は、プロのテナーサックス奏者、バンドマスターでした。しかし、その後、自分を神様に献げ、神様の御用をするようにと、芸能の世界から抜け出し、綺麗さっぱり牧師へと変えられました。

 

【自己中心的な私の勝手な思い】

自分でも良く解らないことがあります。私は、献身するまでは、ビジネスバックを手に、不動産の営業をしていました。15年間不動産会社の会社員でした。牧師館で育ちましたが、私は、一生、会社員で過ごそうと考えていました。会社員クリスチャンとして生涯を全うしようと考えていました。なぜなら、祖父も父も牧師でした。そんな窮屈な中で育った私には、その反動がありました。私には、牧師なんて、似合わないし、牧師の苦労は、祖父、父を見て、知っているし、いずれにしても私には、出来ないと決めていました。牧師にはならないし、なれないと思っていたのです。

 

【大学生になって、親元を離れると同時に教会生活も離れて】

私は、大学生になって、親元を離れ、キリスト教と無関係な世界を覗くチャンスが到来しました。窮屈な教会の中より、自由な外の世界を知りました。

すると、それまで毎週欠かさず礼拝出席していた私は次第に教会に行かなくなってしまったのです。理由は、寮生活による寮の行事、アルバイト、サークル活動(吹奏楽部)などです。教会に行かない言い訳は、いくらでもありました。今振り返れば、その時期は、信仰が試される時期だったようです。それまでは、親が牧師、住まいは2階の牧師館、1階は教会です。どんな天候でも、夜でも朝でも昼でも教会に行けます。寮生活は、親の目も届かないので、教会に行かなくても礼拝に出席しなくても、親に叱れません。

その時期は、自分と神様の関係を点検するように計画されていたようです。「加来国生」あなたにとって、イエス様は、どういう関わりの存在なのか?教会生活を離れた私は、気ままに楽しく感じました。親の信仰の束縛を離れて、世の中の自由を自己中心的、自分勝手に満喫しました。教会に、行かなくても、礼拝に出席しなくても、楽しく生活出来るではないか?と思いました。

 

【楽しい中にも空しさを知った、私の勝手な行動に対して】

学生生活も終り、しかし、楽しい自由に何か物足りなさを感じ、何故か、離れていた教会生活を送りたいと思い始めました。自己中心的自由には、真の平安を感じられませんでした。ところが、当時不動産バブルが始まり、せっかく教会生活へ、繋がろうとしていたら日曜日は、仕事で通えなくなりました。私が教会へ、行きたいと願うと、今度は何かが邪魔します。教会に行き始めると、何かに遮られ、繰り返し続きました。そして、教会生活から離れた分の信仰を取り戻そう、と東京にある神学校に入学しました。夜学です。

そして、二年目になろうとした時、ある特別な事情で突然、校舎がなくなってしまいました。今後、科目によって、移動教室になりそうだと聞いたのです。他の生徒はいざ知らず、私は、現場を移り渡る仕事ですから、学びを断念するしかありませんでした。

私が、信仰を取り戻そう、取り戻そうとすると、何故か自分の思い通りになりません。

そんな時、義理の弟が別の聖書学院の入学案内を持ってきました。場所を見ると、仕事現場と自宅、通り道の駅に校舎があり、仕事現場が変わっても学べるのです。教会生活は相変わらずでしたが、信仰生活を取り戻したい一心で、前の学校と期間を空けずに、学ぶ事が出来て感謝でした。卒業しました。この学びの期間は聖書の学びであり、どちらかと言うと頭での聖書知識、理解の学びの期間でした。

やがて私は、結婚し、第一子が与えられました。その15年は不動産からバブルが始まり不動産からバブルがはじけました。その渦中にいたわけですから、決して楽ではありませんでしたが、自分の知恵と力で切り抜ける範囲の平凡な日々を過ごしました。それまでは、自己中心的解決に頼っていました。

 

【自分では解決できない3つの問題に直面して】

私は、会社員を続けるつもりでした。ところが、16年目(今から7年前に)の12月に命である、魂の問題に出くわして献身しました。同時に3つの事が重なりました。

一つは、医者から愛する父親への末期がんの宣告です。余命6カ月の診断でした。二つ目は、第二子の出産です。三つめは、突然の会社の解散です。世の中はクリスマスの時期、町中派手な飾り付けと音楽で賑わっているのに、私は悩みを抱え全く喜べないのであります。悩みは、自分を閉じ込めてしまいます。そして自分では解放できないのです。どれ一つ、自分の手では解決できない問題を目に前にして、目的地すら見えない状況が続きました。

自分の知恵、知識、力ではどうにもならないのです。こうなると、自分では、何ともならないのです。神様の前に降参しました。助けて下さいと。もう神様に寄り頼むしかなかったのです。神様との応答の祈りしか、解決の手段はないのです。神様の知恵、知識、力、にすがるしか、答えの求めようがなかったのです。何度祈った事でしょう。

 

【最善の解決が与えられた】

全ての問題が解決しました。私には出来ない、神の業としか思えない解決方法でした。まず、会社が解散しました。会社の中の様子は、あまりにも突然の事で大荒れになりました。次に第二子が誕生しました。世の中、何事もないように生まれてきました。私は仕事がなかったので、子どもが産まれてくるのを病院で待つ事が出来ました。末期ガンを患っている牧師である父は、産まれたばかりの孫を病院に見にきました。私には仕事がなくなったので、感謝な事に、入院中の父親の看病と見舞いに毎日行けました。

生まれた第二子は、その数ヵ月後、末期の病を抱えながらも、外出許可をとり、主日礼拝の御用にあたる牧師から、家族・親族(この日に限って全員揃っていたので)・教会員の方々が見守る前で、献児式を受けました。この時は、命の引渡しのように見えました。これから、死に向かう父親、今からを生きてゆく子どもとのつながりのように思えました。

失職後、不景気の真っ最中、一ヶ月で就職が決まりました。制度を知らなかったのですが、早期就職祝い金が国から受け取れました。父親は死期が間近に迫ってくるのを感じ、病床で、私にどうしても言っておきたかったのでしょう。「国生、楽器をおまえに任せる」と、言い残し、天に召されました。

私は会社勤めの15年間、ほんの何日しか楽器を吹くことはありませんでした。大変な物を任されてしまいました。

この一連の出来事は、私には何も計画する事は出来ませんでした。何も出来ないのです。ただただ祈る事しか出来ませんでした。入院中に、病室を見舞いで訪ねて来られた方々とも、何度も何度も祈りました。祈りの輪の中にいる事が私にとって、何よりの平安でした。弱い中に、強い神様が働きかけてくださる事を確信しました。神様の解決方法に答えを求めている人に、神様は働きかけ、最善の答えを用意してくださる事を体験しました。

 

【父親を天に送った後のショック】

既に、母親を天に送り出している私には、血の繋がりがあり残された家族は妹だけです。愛している肉親との地上の別れが、こんなに辛いものとは思いませんでした。眠れない毎日が続き、自分を責めるあまり、うなされました。生前に、あれをしてあげればよかった。これが出来なくて残念だった、と苦しく長い一日が終らない気になりました。

 無気力という言葉がぴったりです。何もしたくはない。何に対しても喜びがないのです。無責任ですが、生まれたばかりのわが子がいても、私には生きる気力が全くなく、食欲もなくなりました。私の性格は落ち込みやすいのです。とことんまで落ちました。そこには、とことん無責任な加来国生がいました。仕事は、別の意味で投げ出しませんでした。何かしていないと落ち着かないからです。

ショックを紛らわすように、仕事に没頭しようとしてもそうもゆきません。自棄酒(やけざけ)を飲んでも一時的な逃げにしかなりません。何を試しても立ち直れないのです。そんな私の様子を眺めていた妻は、「行ってきます」と言って出かける私を見て、「大丈夫だろうか?」と思っていたそうです。酒に酔ってもいないのに、朝からフラフラしながら会社へと向かっていたからです。

 

【通勤時間、何気なく聖書を読み始めた。すると次第に】

生きる気力を失った私は、魂の抜け殻のような状態でした。失望から絶望へと向かっていました。ある日、ふと何気なくポケット版の新約聖書をカバンに入れ、通勤し始めました。普段は、そんなことしたことはないのですが、何故か、聖書を電車の中で手にとって見ようという気になったのです。聖霊の働きとしか思えませんでした。私にとって、かすかな行動でした。聖書を読んだからとて、父が天に召された事実は現実として消えないのです。心の中で大風が吹いている状態です。最初は、ぼんやり字だけを追っていました。往復3時間、ただ眺めているだけなのです。不謹慎かもしれませんが、読もうという気にもならないのです。どこを眺めているかも自分で解っていないのです。数日してからは、シャープペンで文字の横をなぞりました。それでも、自分の中に聖書の御言葉が入ってこないのです。段々月日が過ぎていきました。今は見かけなくなりましたが、当時は、ノック式の4色蛍光ボールペンというのが販売されていました。何でそんな事を思いついたのか覚えていないのですが、どこを眺めているか解らないので、そのボールペンで目に刺激を入れて読むことにしました。次第に、聖書がボロボロになり形が崩れ、何度もページをめくるので、聖書の厚さまでが膨らみ始めたのです。それに伴い、目に力を入れて読めるようになり始めたのです。聖書を通勤中、13時間広げて半年間、新約聖書に一貫して流れている文脈は、イエス様が、あなたの責任を背負って死んだのだから「あなたは、生きよ」と書いてあると解りはじめたのです。希望がチラッ、チラッと見え始めたのです。当時の聖書を今も持っています。私にとって絶望から希望へと導き、命を救った大切な聖書です。

御言葉がなければ、今ごろどうなっていたか解りません。神様の存在の大きさを思い知らされたのです。

状況は何も変らない。それでも聖書は、「生きよ」と語りかけていることに気付きました。私は肩の荷が取れた思いになりました。それまでは、生きる気力さえなく、妻子がいながらも短い付き合いで申し訳なかった、と無責任な行動に走りそうでした。そこから命の尊さへと「生きよ」と気付かせてくれたのです。神であるイエス様が神様の愛を十字架で示して下さいました。神様の愛によって、示された「希望は、私たちを欺く事はありません」(ローマ人への手紙55)「希望は失望には終わりません」これが、解って嬉しかったですね。

私にとって、救われるということは、どんなに回りの状況が変わっても、また変わらなくても、死の一歩手前でイエス様の存在に気付いたことでした。

これが私にとって、大きな慰めとなり、平安へと導かれたのです。

祖父、両親に信仰を与えた神様は、ついでに私をクリスチャンとしたのではなく、神様は、私と一対一の信仰の応答をはっきりせよ、と求められたのです。しっかりと受け止めました。神様の御言葉に従う喜びを得ました。旧約聖書にも、新約聖書にも、神様の存在は、こう現されています。

 

【聖書の御言葉】

詩篇9篇11節には、「主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない」。ヘブライ人への手紙135節には、「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました」。

私にとって、イエス様は期待の主なのであります。他にも私の力では何ともならなかったことはいくらでもありました。しかし、祈って委ねる時、神様は最善の答えを持って、救い、守って下さいました。私は、イエス様を通し、神様がなさる御業の素晴らしさに圧倒されています。私は、神様に何度も助けられ、何度も守られました。習慣となりました。

経験し、体験させられています。この神様の素晴らしさ、この喜びを自分だけのものとするのでなく、伝えてゆきたいのであります。どんな状況であろうとも、聖書の御言葉は、人間に対して、イエス様を通して、神様は、「私が救うから『あなたは生きよ』」と希望を与えてくださる事を伝えているのであります。この聖書の言葉は、人間に力を与えます。私は、その時、一つの御言葉に養われました。献身に至った御言葉です。ヨハネの手紙T26節の御言葉「神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません」です。私は、それまで信仰生活だけでなく、人生ふらふらと歩いていたのです。この救いの喜びを伝えたいと献身しました。

これは、勿論、私だけに起こる事ではありません。私たちが地上で生かされている間には、色んなことがあるでしょう。悩みや問題に対して、どのように解決して良いのか、答えがさっぱり、わからなくなることがいっぱいあるのです。そんな時、私たちはイエス様を求める、特等席にいます。映画館や劇場のように舞台やスクリーンの前からS席、A席、B席ではないのです。イエス様は、復活の命を得た後、どこにゆかれましたか?私たち一人一人は、イエス様と縦の関係に置かれているのです。愛する兄弟姉妹の皆さん、あなたを今悩ましている問題があれば、イエス様が、その問題から救って下さると確信をもち、喜んで迎え入れてみませんか?イエス様を信じ迎え入れる時、間違いなく目的地へと導いてくださいます。このお方を迎え入れる事無しに、目的地へ至る救い道はありません。

生きる希望は、いつも神様から何度でも与えられます。お祈りいたします。

 

                  (2007年7月8日 宣教)

 

 

 

 

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