―――世の光―――

 寺園喜基先生(西南学院院長・福岡城西教会協力牧師)

 

 あなたがたは世の光である。……そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。

(マタイ5章14〜16節)

 

 ご一緒にこのように礼拝を守ることができて大変嬉しく思います。今日始めての方もいらっしゃるとお聞きしました。私がクリスチャンになった頃のことをお話しましょう。私が高校2年の時にあるクラスでちょっとした出来事があったのです。それは世界史の時間で、先生がローマ史を教えている時キリスト教の迫害に触れたのです。先生は「キリスト教は永遠の命とか復活とかいうらしい、みんなはどう思いますか」と冷やかし半分に言ったのです。高校生はみんな生意気ですから、私たちはせせら笑ったのです。すると後ろから「先生、私は永遠の命を信じます」と言う声がしたのです。みんなも私もびっくりしました。先生はバツの悪そうな顔をして、話題を変えて授業を先に進めたのでした。それは私の友だちだったのです。彼は中学の時にクリスチャンになった鹿児島バプテスト教会の会員でした。それまで全然知りませんでした。その彼がある時教会に誘ってくれて教会に行くようになりました。私の場合は自然というか素直な気持ちで行くことが出来たと思います。そして若気の至りでしょうか2〜3ヶ月して秋にバプテスマを受けました。イエス様に従いますというただ一点だけで、三位一体の神とか罪のこととか余りそういうことは分りませんでした。クリスチャンになってから学びが始まったという感じがいたします。それが17歳ごろのことです。

 クリスチャンになってよかったなあと思うのは、いつもお祈りができることと前向きに考えることができることです。

 今までの歩みを振り返って大変だったのは双子が生まれたときでした。長男、長女が与えられ、次に女の双子が与えられました。まだ2番目の子どものオムツが取れないぐらいでした。連れ合いが夜中に子どもにおっぱいをやるでしょう。一人にやっている間にもう一人も泣くわけです。それで私が哺乳瓶を飲ませる。それが最初数ヶ月続きました。オムツを替えることも上手になりました。その数ヶ月の間、これでいいのだろうか、自分の学者としての歩みは滅茶苦茶になるのではないか、この双子は自分をだめにしようとすることなのではないか、悩みました。その時ふとこれではいけない、ひょっとするとこの子たちは私の狭い生き方、考え方を広げてくれるかもしれない、と思うようになりました。それで腹を決めて私なりに子育て参加を決心し、本なども読んだりしました。双子に関する本や、スポック博士の育児書、あれは名著だと思いますけど、それからお料理の本とか。双子のオムツ換えやおっぱいをやっている間に、上の二人はお腹をすかせているわけですから、その子たちのご飯を作らなきゃいけないこともあって、私は料理の本を読んだりもしました。結局はそれで世界が広がったような気がします。ですからクリスチャンになって、問題が起こった時もうダメだとかこれでおしまいだとか、自分は滅茶苦茶になるのではないかとか、そんな風に考えるのではなくて、それをバネにして新しい世界が開けてくる、ちょっとやってみるかという気持ちを持つことができるようになった。それがよかった事だなと思います。

 今、城西教会は牧師がいません。私も定期的に説教し、教会学校を担当しているのですけど、去年のクリスマスに幸い二人の信仰決心者が与えられてバプテスマ式をすることができました。一人は若い娘さんです。祖父母も両親もクリスチャンで、教会の中にいるのが全く自然で、決心をするチャンスがないままずっと来ました。大きくなると教会に来たり来なかったり。自分としてはどこかつながっているのだけれど、信仰の面でいうとはっきりしない状態でした。そこで彼女に教会学校のお手伝いをお願いしたのです。そうしたら教会奉仕を担う中で少しずつ教会が自分のものになりました。そして神様がだんだん近くなって決心を迫られるという気持ちになりました。ある婦人に声をかけてもらって、バプテスマの決心をうながしてもらいました。そういうふうにしてクリスチャンになることが出来ました。

 もう一人は50歳になる判事さんですが、この人は裁判官だけに理屈好きの人です。信仰を決心する前に勉強しなくちゃいけないということになり、一年以上礼拝が始まる前、神学の本の勉強をしました。そしてある程度いった時に、「神学の勉強と信仰の決心は別ですもんね」と僕が言いました。神学の勉強は信仰に基づくキリスト教教理についての勉強です。「でもあなたが信じるかどうか、それはもっと根源的なあなたが神様と向き合うことです。それはあなたがちゃんとやってください。勉強は続けましょう」というやり方でした。ずっと本を読みましたが、彼なりに決心をされてこのクリスマスにバプテスマを受けられました。しかし神学の学びはもうちょっと続けたいということで先週まで丁度マルティン・ルターの「キリスト者の自由」という本を読み上げたところで一応終わりました。

 このように城西教会で二人の人がバプテスマを受けてクリスチャンになって、それぞれが神に直面して決心して新しい歩みを始められました。彼らもきっと前向きに、事柄を悲観的ではなくて根源的に楽観的に引き受けていくのだろうと思っています。

 

 先ほど司会者にマタイ福音書5章14節以下をお読みいただきました。有名な言葉です。「あなたがたは世の光である」。光について聖書はどういっているかということを先ず前半にお話ししたいと思います。そしてそのお話しのあとで「あなたがたは世の光である」と言われていることは、今日どういう意味を持っているのかを後半に考えてみることにしましょう。

 先ず聖書と光について。光は神様ではありません。光は神様がお創りになったもの、被造物です。創世記1章3節に神は光を創られたとあります。そしてこの光は暗闇に対立しています。あるいは混沌に対立しています。神様がお創りになった被造物であるこの光は、しかし神様の性質、神様の特徴、神様の属性というものを示しています。光と闇、キリストと反キリスト、信仰と不信仰、神と偶像、そういうものを対立させあるいは光の子と闇の子、そういう対立の中でその光というものは神様の特徴を示しております。もう少し聖書をいろいろとめくってみますと、光というものはたとえの表現としても使われています。これは三つほどいうことができますが、第1に光で神様をたとえて言っています。詩編27編1節に「主はわたしの光」という言葉があります。それからTヨハネ1章5節に「神は光であり」、と言われています。このように先ず神様をたとえて言っています。第2に光はイエス様をたとえて言っています。ヨハネ12章46節「わたしは光として世に来た」と言われています。あるいはヨハネ1章4節、9節「言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった」「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」と言われています。このように光はイエス様をたとえて言っています。このように神様、イエス様をたとえの表現で用いている光は、第3に人間について「あなたがたは世の光である」と言っているのです。あなたがたは光なのだ。だからもう隠れようがない、周りの人たちからそう見られており、周りの人を照らしているのだ。光のように照らす以外にないのだ、そう言われています。「あなたがたは光であれ」「光のような資格を持て」とは言われていないのです。「あなたがたは光だ」。「いやそんなことはありませんよ。私はとても暗いです」とおっしゃる人がいるかもしれません。しかしそれに対して「いやあなたがたは世の光だ」そうイエスはおっしゃるのであります。そしてそのつぎにわたしがとても大切だと思うのは16節「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」。あなたがたは世の光だ、それによってあなたがたが世間の人たちからほめられるのではなくて、「天の父があがめられる」のです。この言葉はとっても大事だと思います。私たちは世の光なんかなりたくない、神様の光を輝かせるようなことなどしたくない、と思うからです。逃げたくなります。しかし逃げたくなる私たちを「逃げるな。あなたがたは世の光なのだ。光のように照らす以外にあなたがたの生き方はない。その祝福の中に入れられているのだ」。そう聞いた私たちはすぐ自分を自慢したくなります。自分をほめられたい、と思いがちです。しかしそうじゃない。天の父を人々があがめるようになるためなのだ。

このことで私がお話したい後半に入りたいと思いますが、今日世の光だということはどういう意味を持っているのでしょうか。あなたがた一人ひとりは世の光として照らす以外にない、ということはどういうことを意味しているのでしょうか、このことを後半に考えてみましょう。

 そこで私は二つのことを考えたいと思います。先ず一つはこの人々が神様をほめるということが大切で、あなたがたの行いを見てあなた方をほめるのではない、それが大切なのではないという点をみてみたいと思います。

 少し回り道の話しをするかもしれませんけど、私はあるところに書いたのですが、現代という時代、今日という時代はどういう時代かなと考えて、今日はスーパースターを求めている時代じゃないかなという気がしています。松坂選手の60億円の俸給。私はびっくりしました。そしてスポーツ経済学では十分採算に合うのだそうですけど、しかしこの松坂選手を誉めそやし英雄視し、新聞やテレビでも真っ先にこの60億円の選手のことが出てくる。ちょっと私はこれでいいのだろうか、異常じゃないかと思います。私は野球が大好きです。大のホークスファンです。でもボールを投げたり打ったりする、しかも野球というものはチームプレーなのに一人の選手が60億円。これは異常だ。そして異常だということをあまり人は言わない。それはもっと異常じゃないか。それでいいのだろうか。ところが多くの人は、私も松坂選手にあやかりたい。松坂選手がにっこり笑った、私は元気をもらった。それは一寸変ではないでしょうか。たまたま夕べテレビを見ていましたら藤原紀香が十二単を着て生田神社で結婚式を挙げている。普段のコマーシャルの方がよっぽど魅力的だと思いましたが。その入口の鳥居のところに紅白の幕を張って人々が近づいて大騒ぎにならないようにしているにもかかわらず、大勢の人が何かきゃあきゃあ言いながらカメラを向けている。あの心境が私にはわからない。スーパースターを特に芸能界やポーツ界で求めている。自分はどう生きるのか。松坂選手の一投と自分の今日の飯とどう関係があるのか。そういうことはあまり問うことがない。自分をスーパースターと重ね合わせて、自分をそこに同化させながら毎日を生きている。何か根無し草のようなことが今日の問題ではないかという気がします。

 スポーツ選手たちだけでなく、政府もなにやら愛国心とかいって国をスーパースターにしているような気さえします。確かに社会的状況は流動的です。特に1990年のベルリンの壁崩壊以来、東西対立がなくなってアメリカの経済的軍事的な一極化が進んでいく。経済のグロバリゼーションが進んでいって、日本にもその波が押し寄せてきて構造改革とか自由競争というものがだんだん激しくなっていく。そういう中で倒産とかリストラが起ってくる。その波は学校や家庭にまで起ってきて子どもたちのイジメとか自殺とか家庭における様々な殺人とか起こる。そういう不安定で流動的な時代ですが、そこにスーパースターを見つけて、それと自分を一つにしたいという思いがあるかもしれません。しかし、あなたがたは世の光だ、あなたがたは自分の足で立って歩いてこの世を照らすのだ、そう聖書は呼びかけているのではないでしょうか。スーパースターを求めてそこに逃げ込むのではない生き方、これが今日求められているような気がいたします。

 そしてまたこの時代、スーパースターを神様のようにほめたたえるのではなくて、自分がスーパースターになるということもあります。これも野球を例にとると、自分が好きだから仕様がないのですけど、例えば新庄選手は福岡の出身ということもあって、ちょっとおっちょこちょいということもあってとても好きですけど、そのプロ野球の最終戦の時です。人々は新庄劇場という名前をつけました。新庄選手が優勝試合で真っ先に胴上げをされました。あれは中日とのシリーズの最終戦でした。私は真っ先に胴上げされるのはヒルマン監督だろうと思っていましたけど、新庄選手でした。そして本人もとても喜んでいました。周りの人は新庄劇場、新庄やったねと言いました。監督は何をしているのかなあと私はテレビを見ていましたが、今度はあなた、次はあなたという風にこえかけをやっているのです。だから新庄選手の次は小笠原選手だったのではないでしょうか。監督は最後でしたね。ヒルマン監督はえらいな、謙遜することを知っていると思いました。彼はクリスチャンだそうです。ご家族は北海道の教会に行っているそうです。このヒルマン監督の言葉に「私は監督として選手一人ひとりを良く知り、どう戦うかを考えないといけない。そのように人生において生ける神があらゆる人にとって監督です」と、そういう言葉を読んだことがあります。自分がスーパースターになるとかスーパースターを気取るのではなくて、神様をほめたたえる。自分は低いところに身を置くことができる。そういうことが本当に大切なことじゃないかなと思うのです。「あなたがたは世の光だ。それによって人々が神をほめたたえるように」、そういうように生きるべきだ、そう聖書は語っています。

 この世の光についてのもうひとつの今日的意味についてお話したいと思います。それは人間がどのような理由であれ死なねばならない状況の中で、最後に何を語り、どういう言葉を残すのかということです。その例として、これはあるところでも話したこともあるのですけど、この第二次世界大戦中の末期に特攻隊で死んだ若者の場合をみてみたいと思います。特攻隊の隊員の中に一人クリスチャンがいたのですが、その人が特攻隊員として立つ前の日記や、お母さんにあてた手紙がまとめられてもう十数年前ですけど本が出されました。それを改めて私は読んである大切なことを教えられました。(「特攻隊 林市造 ある遺書」 湯川達典著 九州記録と芸術の会発行)

 私は国を愛するというとき、この私たちが生まれ育った「郷土」としての国と「政治的体制」としての国家、政府としての日本を区別したいと思います。政府・政治を行うところの国家、これは法律を守って人間の福祉のために正義を行わなくてはなりません。そこでは愛とか何とか感傷的なべたべたした言葉は言ってもらいたくありません。賄賂を取らない、情実的な政治をしない、法律を守ってすべての人が納得していける政治をする、これが国家です。しかしもうひとつ郷土としての国家というのは他面であるでしょう。私たちが生まれ育ち、その風景が私たちの原風景であるような、そういう日本です。それはどこか愛着があるということはあるかもしれません。ただしその愛すべき郷土としての日本でも、そこから追われた人、そこに住むことを拒否されながらそこに住むほかない人にとって、それを愛しなさいと言うことは、過酷です。愛は強制できません。今日の私たちはそういうことを考えたり言う自由がありますけど、第二次世界大戦がいよいよ終りになって、選択の余地なく日本が終戦に向かって追い立てられる中で、若者たちは戦争へ駆り立てられていったのです。

 宗像出身の林市造という青年もその一人でした。彼は旧制の福岡高校の出身でその時にクリスチャンになったのです。河野博範という先生からバプテスマを受けたのです。お母さんもクリスチャンでお父さんは早く病気で亡くなったのですけれども、お母さんは福岡女学院の寮母さんをしてこの市造と二人のお姉さんを育てたのです。彼は福岡高校を卒業し京都大学の経済学部に入学いたしました。そして2年生の時に学徒出陣をいわれて、そして特攻隊の志願が教室の中で求められたそうです。やむをえない気持ちだったのでしょう、彼は志願をします。そして23歳の時、沖縄戦で戦死をしているわけです。神雷特攻隊500名の内ただ一人クリスチャンだったというのです。少し彼の日記とか手紙を紹介してみましょう。

 「私達の命日は遅くとも三月一杯中になるらしい。死があんなに怖ろしかったのに、私達は既に与えられてしまつた。……だけど私の母のことを考へるときは、私は泣けて来て仕方がない。母が私をたよりにして、私一人を望みにして二十年の生活を闘つて来たことを考へると、私の母が才能ある人であり、美しい人であり、その半生の恵まれてゐたひとであつただけ、半生の苦闘を考へるとき、私は私の生命の惜しさがおもわれてならない」(122~123頁)。夫を早く亡くして女手一つで三人の子どもたちを育てた、そういう自分の母を思いやってのことですね。家族みんなの希望を林市造は担ってそして京都大学に入ったわけです。

 「それにもまして、私は私の母が信ずる神を信じてゐるといふことは何といふ強味だらう。すべては神のみむねであると考へてくれると私の心はのびやかになる。神は母にたいしても私にたいしても悪しくなされるはずがない。私達一家への幸福は必ず与へられる」(124頁)。そう自問しております。

 「短き生命にも思ひ出のときは多い。恵まれた、私には浮世との別離はたへがたい。けれど思ひかへすまでもなく私は突込まねばならない。出撃の準備整うてくるにつれて、私は一種圧迫される様な感じがする。耐へがたい。私は私の死をみつめることはとても出来そうにない。この一刻に生きる」(135頁)。

 お母さんへの手紙でこう言います。

 「お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときがきました。親思ふ心にまさる親心今日のおとずれ何ときくらむ。この歌がしみじみと思はれます。ほんとに私は幸福だつたです。我がままばかりとほしましたね。けれどもあれも私の甘への心だと思って許して下さいね。晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思ふと泣けて来ます。母チヤンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思ふと、何もよろこばせることが出来ずに、安心させることもできず死んでゆくのがつらいです。私は至らぬものですが、私を母チヤンに諦めてくれ、といふことは、立派に死んだと喜んで下さいといふことはできません。けど余りこんなことは云いますまい。母チヤンは私の気持をよくしつて居られるのですから」(137~138頁)。

 「ともすればずるい考へに、お母さんの傍にかへりたいといふ考へにさそはれるのですけど、これはいけない事なのです。洗礼をうけた時、私は『死ね』といはれましたね。アメリカの弾にあたつて死ぬより前に汝を救ふものの御手によりて殺すのだといはれましたが、これを私は思ひ出して居ります。すべてが神様の御手にあるのです。神様の下にある私達には、この世の生死は問題になりませんね。エス様もみこころのままになしたまへとおいのりになつたのですね。私はこの頃毎日聖書をよんでゐます。よんでゐると、お母さんの近くに居る気持がするからです。私は聖書と讃美歌と飛行機につんでつつこみます。それから校長先生からいただいたミッションの徽章と、お母さんからいただいたお守りです」(140~141頁)。校長先生というのはお母さんが寮母している福岡女学院の校長先生で徳永ヨシ先生のことで、ミッションというのは福岡女学院のことで、徽章はぶどうのしるしのバッジです、それを持って死んでゆきますというのです。

 「お母さん、でも私の様なものが特攻隊員となれたことを喜んで下さいね。死んでも立派な戦死だし、キリスト教によれる私達ですからね。でも、お母さん、やはり悲しいですね。悲しいときは泣いて下さい。私もかなしいから一緒になきませう。そして思ふ存分ないたらよろこびませう。私は讃美歌をうたひながら敵艦につつこみます」(144頁)。

 「なごりはつきませんね。お別れ致します。市造は一足さきに天国へ参ります。天国にいれてもらへますかしら。お母さん祈って下さい。お母さんが来られるところへ行かなくてはたまらないですから。お母さん、さよなら」(151頁)。

 そういう手紙です。この市造の手紙や文章を読んでみますと、天皇のためにとか天皇陛下万歳、帝国日本万歳、そういう言葉は全然ありません。それらが最後の言葉ではありません。あるのはお母さんと神様だけです。この手紙を読んで、いろんなことを思わざるをえません。特攻隊、これは戦争行為です。だから個人の死を美化してはならない、そう思われる方もおられるでしょう。確かにその通りです。しかし状況のことは別問題として、一人の人間がどうしても死なざるを得ない状況になった時にいったい何を選び取ったのか、いったい何を最後の言葉にしているのか、それが私は大切だと思います。あるいは彼のやったことは素晴らしい、日本国を守るためだったし、戦後の日本は特攻隊のおかげだった、というのも問題だと思います。戦争は人殺しですし、自分の国を守るためといいながら、韓国、朝鮮、台湾や中国、インドネシア、東南アジアの国々に日本はどんなひどいことをしたかという視点がそこには全く抜け落ちているからです。大東亜戦争肯定論などというのは全くの欺瞞だと思います。そういう外枠の議論はそれとして、私はさっきから言うように死を選び取らざるを得なかった一人の人間が、どうしても死なざるを得ないという状況でいったい何を最後の言葉としたか。これは交通事故でも一緒です。交通事故でトラックにはねられた。死ななくてもいい無駄な死に方をした。そう誰も言わないでしょう。あるいはトラックに自分から突っ込んでいって何か犠牲的な死を死んだ。こんな交通事故がもう起きないように示すために交通事故に会ってみせたなんていうことを言う人もいないでしょう。問題はそういうことでなくて、さっきから言うように死に直面した、それはガンであれ、交通事故であれ、どんな病気であれ、そして特攻隊であれ、死に直面した人間は何を最後の言葉として言うのか、それが大切だということであります。そしてこの林市造には母親への愛情が、イエス様、神様のことが心を占めていたのであります。そして決して、天皇陛下万歳、日本帝国万歳と言わなかった。これは私には慰めであるような気がします。「あなたがたは世の光だ」という時に死んだ人をほめたたえるべきでないし、あるいは死んだ人を必要以上にさげすむことも許されなくて、神様はどう見たのだろうか、神様との関係でこの青年は何を最後の言葉としたのだろうか。讃美歌を歌いながら讃美をもって死にいきます。それが最後の言葉だったのであります。

 さっきも言いましたが今日は不安定な流動的な時代です。ですから何かにもたれかかりたい。スーパースターにもたれかかりたい。そしてスーパースターから生きがいをもらいたい。それは多くの人がしていることですけど、聖書はそうではない。「あなたがたは世の光だ」。あなたがたは自分の足で立って自分の足で歩みだしてあなたがたの行いを見て神様がほめたたえられるような、そういう生き方をしなさい。そう告げているのであります。私たちの日常生活はいろんな出来事があり、大切な重大な出来事もあるし、多くは小さな取るに足りない仕事の積み重ねでありますけど、その中で神の言葉を呼びかけられた者として生きていきたいものだと思います。

                 (2007218日宣教要旨)

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